創業者が見た激動のヤマト運輸

ヤマト運輸は1919年に開業されます。銀座の原料紙問屋を営む家に生まれた創業者小倉康臣は、八百屋経営を経て自身30歳の誕生日にヤマト運輸を起業、全国のトラック台数が204台だった時代にトラック4台を抱え創立しました。他に競争相手もなく強いて挙げた2社もサービスが悪い運送業で創立11年目に日本初の路線事業を開始し、依頼人から荷物を引き受け各営業所を経由しながら目的地まで運ぶ輸送スタイルを築き、ネットワークは関東一円に広がります。戦後はGHQ関連の輸送業務を担当、高度経済成長の波に乗り路線トラック事業が軌道に乗りました。しかし、東京五輪を機に全国各地に高速道路が完成し各社が長距離輸送に力を入れる中、ヤマト運輸は市場の読みを誤り出遅れて業績が低迷し、1971年に小倉康臣は代表取締役社長を長男昌男に譲ります。それでもオイルショックのあおりを受けて経営の危機に直面しました。そこで昌男は民間に向けて小口荷物を多く扱う今の宅急便スタイルを1976年に立ち上げ、電話1本で1個からの荷物引き受けで再スタートを切ります。次々にサービスの幅を広げ工夫を重ねながら復活、その息子による上り調子の宅急便事業を見守りながら、創業者の康臣は1979年にこの世を去りました。

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